内藤容子

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●誕生日    11.21 日曜日
●出身地    新潟県
●血液型    O型
●身長     160cm
●好きな事   睡眠、編み物、パズル
●癖      左肩が上げる。手短なアクセサリーをいじる。
●好きなもの  ボールペン
●好きな花   ガーベラ
●好きな食べ物 おしるこ、きのこ、大葉、うどん
●好きな場所  万座温泉"日進館”
●好きな歌   「東京砂漠」
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インタビュー

クリスチャン音楽専門サイト"ブリードキャスト”に掲載された内藤のインタビュー記事です。 サイトはbreathecast


ゴスペルの国・群馬から注目の新星が誕生!昨年、1stソロアルバム『歌う信仰告白 神の家とは』でデビューし、聖書の御言葉をそのまま用いた斬新な歌詞や心に響く歌声で、ゴスペル界に衝撃を与えた期待の新人歌手・内藤容子にインタビュー。

—まずお伺いしたいのですが、クリスチャンとなったきっかけは何ですか?

幼稚園の時に友達に誘われて教会にいったことがきっかけです。

—そうですか。今回のソロデビューはどのように決まったのですか?

昨年9月にびぶりか企画のプロデューサーと出会ったことによります。 それまでもバンド活動や、ソロになってからプライベート音源は残して いましたが、自分を本当に評価して背中を押し出して下さったことが今 の私に繋がっています。

—「音楽宣教師」という肩書きが印象的ですが、ご自身でお付けになっ たのですか。

母教会の牧師が付けてくれました。狭い意味での「賛美」としての歌で はなく、一曲聞いたら一つのメッセージを聞いたような「説教」として の歌を歌っているからです。またアーティストや、ミュージシャンがあ まり優遇されない今の日本の教会土壌ですが、アーティストやミュージ シャンも牧師や伝道師と同じく、皆さんにきちんと支えられてその業が 成り立つことを知っていただきたいと思う願いもあります。

—1stソロアルバム『歌う信仰告白 神の家とは』が昨夏に発売されまし たが、評判はいかがでしょうか?

聞こえてくるのは、喜んでいただいている声です。すでに信仰をお持ちの 方に特に何か響くみたいです。私とプロデューサーの思いがしっかりと伝 わっている印象は強く感じます。「「心情ではなく信条」がやはりキリス ト者には不可欠」という素晴らしい言葉もいただきました。リリース以降 では4桁の販売数になっているようなので、まずは順調かと。

—『歌う信仰告白 神の家とは』はどのようなコンセプト、思い入れで作 られたのですか?

若い世代から熟年の信仰者すべてに届く信仰告白、またメッセージとして 作らせていただきました。デザインにおいては若い人にジャケット買いを誘うものではなく、年長者の方々もスッと手が伸びる伝統的スタイルを模索しました。最終的には内容において、デザインにおいて聖書の側においてもらえるようなものとなることを期待しています。

—2008年を迎えましたが、昨年一年を過ごされてのご感想は?
   
「全てにおいて主の時がある。」「主の下さった賜物と召しは変わることがない」を実感した一年でした。

—では今年の抱負はお聞かせください。
   
「前進」です。誰かと同じになるのではなく、昨日と違う今日の自分、今日と違う明日の自分になることを感謝する日々でありたいです。

—最後に読者の方に一言どうぞ。

一人のゴスペル・アーティストではありますが、常に教会と教会音楽、それをとりまく業界に警笛と励ましを鳴らす存在でありたいと思います。その中心はやはり”聖書”につきます。どうか聖書を歌い続けることができるように、そして「心情」を越えて「信条」となる信仰告白を歌いつづけることができるように応援願います。2ndアルバムのコンセプトも整い製作準備に入りました。皆さんの教会でお会いしながら煮詰めていくつもりです。どうぞ宜しく御願いいたします。


音楽宣教師・内藤容子の福音伝播の活動はまだ始まったばかり。デビューと共にゴスペル界に新しい風を吹きかけ多くの人々や教会にインパクトを与えた昨年。そして今年、彼女を通して開かれる神様のご計画に目が離せない。内藤容子の全ての働きの上に神様の祝福があり、まだ神様を知らない多くの人達が彼女を通して神様を知るようになることを願う。

"恵みの雨"07年12月号に掲載された証です。

「あなたは何のために賛美をしていますか」。この短い問いに私は動けなくなった。私の罪の事実が突き付けられ、すべての奉仕の動機が問われた瞬間だった。

-何のための賛美か-
小さいころから歌うことが大好きで、歌手になることを夢見ていた。高校に進学するころ、神様の愛に圧倒され、神様に従って生きる人生を心に決めた。その後は特別賛美や奏楽の奉仕、中高生へのメッセージなどに熱意を持って臨み、神様に喜ばれているという自負を持って歩んでいた。
 しかし高校三年の五月、それまでに感じたことのない焦りと不安でいっぱいになった。「神の愛」の話を聞きながら、「まだ知らないことがある。それを知らなければならないが、でも、それが何なのか わからない……」という思いが強く心を巡った。信仰について導いてくれた方に相談し、特別な学びの機会を持つことになり、祈りつつ備えてその場へ向かうと、たくさんの質問が私を待っていた。その一つに、私は答えることができなかった。
 「あなたは何のために賛美をしていますか」。この短い文を読んで、動けなくなったのだ。不安を覚える前なら、「神様のため」とあっさりと答えただろう。けれども、ほめられることに喜びを覚えている自分、人前で歌うことに高揚感を見いだしていた自分、賛美していると言いながら心の内で自らの心地良さを求め、結局イエス様を利用している自分が、「何のために」という問いの中にはっきりと見えてしまった。私の否定できない罪の事実が突き付けられ、私のすべての奉仕の動機が問われた瞬間だった。
 目の前が真っ暗になり、自分は救いようのない人間だと心の底から思わされたことを覚えている。けれどもその直後、幼いころから何度も聞いていたキリストの十字架のことばが魂に響きわたった。「その私の罪のために、キリストが身代わりに死んでくださった」。心の闇に輝く十字架があった。キリストと私の本当の出会いだった。高慢にも、すべてわかっているつもりでいたキリストの愛。しかし全くわからないでいた本当に浅はかで惨めな私に、その愛が確かに注がれていることを知り、悔い改めの祈りと共に喜んで受け取った。

-歌う者の責任-
 こんな私にキリストは聖書のメッセージそのままを歌にして届けること、すなわち歌で真理を語ると言う方法での福音宣教の思いを与えてくださった。
体験や感情から生まれた賛美や証しの歌を作ったこともある。私自身がそのような賛美の数々に励まされて信仰の道を歩んで来たこともあり、私も神様への感謝の歌、また神様が導いてくださった証しの歌を自分なりに書いてはいた。けれども、自分の気持ちが優先し、結果的に神様の真理が誤解されるような曲になったことがあった。聖書のメッセージとは違うヒューマニズムを伝える歌になったことがあった。自分では気が付かなかったが、いくら神様を信じているからといっても、ただ感じたままを歌にすればいいのではない、ということを痛感した。
 曲を作っても、自分で楽しむだけでなく、それを聞く人がいるなら、そこにはその作品に対する責任が生まれる。音楽や歌ではあっても、聖書、すなわち真理のことばを曲げて伝えることは許されるはずがない。自分のちっぽけな知識や経験を基に歌を作るのではなく、神様からの語りかけを真剣に聞きながら、教えていただきながら歌を作り、歌う者でなければならないとその時から思わされている。
 音楽、歌とは、神様が備えられたすばらしい愛の伝達手段だと確信する。同じことばでもそれが旋律を伴った時、ことばはそれ自体よりも強い力を持つ。良いことばならばなお生き生きと、聞いた人の心に留まり、その人を生かすが、間違ったことばも同じように力を持って心に留まり、聞いた人に影響を与えてしまう。正しそうでいて真理とは異なるものがいちばん厄介だと思う。そういう音楽の功罪を考えていく過程で、聖書の真理をこそ歌っていこう、という思いに導かれた。どんな歌でも自分から発する自分中心の歌ではなく、神様から頂いたメッセージを旋律に乗せる神様中心の歌を歌っていきたい。このいのちが自分のためのものではなく、神様と人とに仕えるためのものならば、それが地上での私の役割だと信じている。勿論この召命が揺らぐこともあったし、これからも揺らぐだろう。そのたびに軌道修正してくださる神様に信頼し、ふさわしくない私を憐れみによって召して導いておられる神様に根拠を置いて、それを確かめ、信じつつ歌っていきたい。かなうこともないだろうと一時はあきらめた幼い日の夢を、こんなふうに、ただの歌手ではなく、聖書の真理を伝える歌い手として、最高の形でかなえてくださった神様に感謝と賛美をささげつつ。

皆さんこんにちは。

内藤容子です。サイトは私の大好きなイエス様への感謝をもって造られています。皆さんの励ましの言葉やアイデアを是非掲示板に書き込んでくださいね! あなたの教会や街でお会いできる日を待ち望みつつ・・・