ゴスペルとは

イエス・キリストが聖書において語られ、示された愛と義。これがゴスペル、すなわち福音です。そして福音は全ての人間にとって良き知らせ。この良き知らせはそのまま喜ぶに値するものです。

ゴスペル音楽とは

イエス・キリストを歌い、奏でる全ての音楽はゴスペル音楽です。そしてその基本から生まれた神様への洞察のある音楽もまたゴスペルよ呼ぶに相応しいものです。

誰が歌うのか

ゴスペルの全てが分からなくてもよいのです。ただあなたがゴスペルそのものと、それを信じる方々に敬意を払えるならそれで十分です。

音楽として・・・

もしあなたが手塩にかけて描いた作品が、まったく違う解釈やただの飾りで使われたら、それはそれで人々に役立つかもしれませんが、やはりあなたは悲しいでしょう。 ゴスペルを『音楽として楽しみたい』とあなたが本気で考えるなら、それは理解は出来ますが、実はかなり寂しく危険な発想と考えたほうが良いかも知れません。なぜならゴスペルは明確な意図をもって書き記され、歌われているのですから。もしそれを「音楽と意味」を分けてしまうなら「魂や心を抜いた人間」と同じくらい無意味な存在に、ゴスペルと言う素晴らしい音楽を貶めることになるのです。ですからむしろ、本当にゴスペルはいいなと思われたなら、「なぜ」そう感じるのか「なにが」そうさせているのか自分の内面に目を向け、そして自らを問い直すことこそ大切なのです。
同時に『音楽として楽しみたい』と思うその心は、結局のところ音楽という「歴史を担った芸術」の存在意義をおとしめていることに気付いていないとも言えます。歴史とは今の自分の一部。すなわち歴史をしっかり見据えないとうことは、自分を見据えないことと同義語なのです。それらは結局のところゴスペルに限らず、様々な対象に対して敬意を表していないと言う事に繋がるのです。少なくとも自らが歌う言葉の意味を理解し思索する存在でありたいものです。

共に生きるために

ゴスペル星組は、楽しく歌うことが目的ではありません。楽しさは一つの手段です。自己実現と言う間違ったゴールを目指すのではなく、感情を越えて、欲望をこえて、共に生きる生活を具現化することが目標です。貧富の差が拡大し、富める者と貧しい人が分けられていくこの国と世界。 美味しい所取りをする人が限りなく増殖する時代。心から分かち合って生きること。痛みを持って本気で分かち合って共に生きる事。これがReal Gospel Choirの称号です。