<ユアチャーチの礼拝と礼典>
聖書、讃美、祈りをシンプルに捧げる。それがユアチャーチの礼拝です。決まった流れに安住することなく、時には次週の礼拝の時間まで変更する大胆さこそ、活力ある教会形成には不可欠と信じます。主日礼拝も様々な働きも、実は全てが"主への礼拝"そのもの。そう、全ての生き様が礼拝なのです!本質をつかんでいるゆえに礼拝はシンプルさに徹底できるのです。
プロテスタントの礼典である、聖餐と洗礼。聖餐は参加者全てに振る舞われる解放聖餐です。"だれもが本来、神の前に相応しくない存在であり、誰もが神の愛で導かれている存在"その地平に立つとき、本人が拒まないならば、聖餐に相応しい存在となると信じます。
洗礼は全てのキリスト者が委ねられた尊い業です。もしあなたが"イエス・キリストは唯一の人間の救い主である"と信じ生きているなら、あなたはあなたに求める方に、主への畏敬の念をもって喜んで主の栄光として洗礼を授けて下さい。なにも恐れる必要はないのです。
礼典は"聖職者"と呼ばれる人々の特権ではなく、主を信じ、教会を建て上げることに生きる人全てによって行われるべき尊い業であるのです。
<説教と讃美>
説教はどこまでも論理的に、明快に、福音主義にのっとって語られます。分からないことは分からない。明記されていることはそのままに。そして、あなたが"考える"存在としてのキリスト者になるお手伝いをすることこそ説教の本質であろうと思います。ですから「悪魔だ、サタンだ」と言うような"話"はほとんど語られません。世相と歴史と聖書の示す未来をしっかり見据えた説教がユアチャーチの説教です。
そして、説教を支え、会衆を備えに導くのが讃美です。ユアチャーチの賛美は決して"高度"ではないけれども、毎週賛美リーダーが導く賛美は完全に礼拝の豊かさとして機能しています。
<こどもの教会>
礼拝前に「こどもの教会」を行っています。アカデミーの働きと連動していますが、聖書そのものに触れてもらうことを基本とし、メッセージとワークを中心に学びを行っています。第一主日(第一週の日曜日)は合同礼拝とし、大人と一緒に礼拝に参加します。
<交わり>
どこの教会でもみかける礼拝後の交わり。それはユアチャーチも同じです。持ち寄った茶菓子を分け合いながら、各自が許された時間の間そこにおいて皆と交わります。その後は三々五々食事や帰宅の途につくわけです。